1551年、宣教師によって、日本に初めて西洋の機械式時計がもたらされました。
しかし当時の日本の時制は西洋と異なっていたため、その時計が実用品として使われることはありませんでした。
1603年、徳川家康が江戸幕府を開き、日本人は世界に類を見ない265年にわたる平和な時代を享受しました。その長い平和の中で日本独自の様々な文化が発達しました。
その一つが、1600年代前半に生まれた、日本独自の時制に対応した時計、「和時計」です。
当時の日本は、夜明けと日暮れを境界に、1日を昼と夜に分け、それぞれを6等分し、その一つを「一辰刻(いっとき)」とする、非常に情緒的な「不定時法」を使用していました。
それぞれの辰刻(とき)には、干支または数字が当てられており、正午が午(九)、未(八)、申(七)、日暮れが酉(六)、戌(五)、亥(四)、真夜中が子(九)、丑(八)、寅(七)、夜明けが卯(六)、辰(五)、巳(四)となっていました。
季節によって変化する昼夜の長さの違いを、様々な独創的機構で表示するという、世界の時計史に於いても非常に興味深い時計です。
西洋では時計に自らの生活を合わせましたが、日本では自らの生活に時計を合わせたのです。
約250年の歴史を持ち、様々に独自進化した和時計でしたが、1873年、西洋的近代化を目指した新政府が、西洋で使用されている「定時法」を採用したため、和時計は実用的使命を終えました。
その後の日本は、多くの文化を捨て、西洋文化、文明を学び、取り入れることで、大きな発展を遂げました。
経済的、物質的に満たされた今だからこそ、日本の時計文化の原点である和時計に学び、日本が忘れていた精神性、時の概念を現代に甦らせ、世界に発信すべきだと思い、制作したものが、「和時計改」です。
和時計は、その多くが15日おきに調整が必要でしたが、田中久重や三宅正利など、江戸末期の時計師は自動でインデックスの間隔を調整する独自の自動割駒機構を開発し、その煩わしさを取り除きました。
和時計改は、過去の和時計にはない独自の自動割駒機構を開発、搭載し、文字板上のインデックスが日々、自動的に動くことで「不定時法」を表示します。そしてリューズ操作のみで自動割駒機構の早送りをすることができます。
太陽と共に生きた人々の時間と、現代の人々の時間を、時空を超え表示する、世界初の腕時計なのです。
そして、菊野の手で年間1本しか生み出すことの出来ない和時計改は、工業化や効率化と無縁であった、かつての和時計と同じように、作り手の想いがこもった、まさに芸術作品なのです。
◼︎スペック
名称:和時計改
サイズ:縦42.0×横34mm
ケース:酸化青銅、ステンレススチール
防水性:3気圧防水
ムーブメント:cal.mk15
28800f/h
26石
手巻き
定時法表示
不定時法表示(北緯51.3度〜南緯51.3度まで対応)
一年針による二十四節気表示
文字は金川恵治氏によるエングレービング
年産1本 受注生産
参考価格:25,000,000円(税抜)
インデックスの文字の変更、素材の変更、針の形状、色、エングレービングや装飾等、様々なご要望に対応可能です。ご相談ください。
和時計(不定時法)の可能性
6月21日(夏至)
12時30分反応開始、15時10分反応終了、生成物xが10g生成された。
12月22日(冬至)
6月21日と同様の実験を行った。12時30分反応開始、14時20分、生成物xが10g生成された。
定時法の視点で分析すると10gの生成物が作られるのに夏と冬で50分ものばらつきがあるように見えるが、不定時法の視点で分析するとどちらも同じ一刻(いっとき)で10gの生成物が作られたことになります。
地球上にいるほとんどの生物は太陽の影響を受けて進化を遂げてきました。生物の実験に使用する単位時間に不定時法を使うと、面白い結果が出ると思いませんか?
薬の投与時間など、不定時法のタイムスケジュールに沿って行うと、より良い結果につながる可能性もあると思います。
科学者の皆様いかがでしょう?